廈門から拡がった中華世界―華僑の原点―

大家好!みなさん、こんばんは! 地域文化学科のWonJunです。


すっかり秋ですねと言いたい所ですが、、、ここ廈門は熱帯地域のようで、


今だ30度前後の猛暑が続きます、、、左図のように、どうみても熱帯に


生えていそうな木々が茂っています。因みにこれら建築物が学生寮です。


自分もここらへんの3階に住んでいます。他の中国人学生と4人で


シェアルームです。和気藹々としてそうで、実際は各々好きなことを黙々と


しています。二次元の中に生きているルームメイトもおり、彼は


朝6時就寝、昼3時起床のゲーム戦士です。彼と出会ったとき、


自分は日本の若者とどこか親近感を持たずにはいられませんでした笑


まぁ、とにかく早く涼しくなってほしいところです。

                                    [廈門大学構内の学生寮。このような寮が数十棟あります]


そんなこんなで、留学に来て早一ヶ月が経ちました。初の海外長期滞在ですが、正直長かったという感覚は全くありません。


更に言えば、何か成長した気にもなっていません。やばいです(え


唯一身についたことといえば、外国人なのを逆手にとって単身でどこへでも図々しく行く度胸だけでしょうか、、、

(決して中国語が上手くなった訳ではなく、文字通り「一人旅」です笑)



[留学について]

今回は二回目の留学レポートということで、前回予告した、私がここで何を学びたいかについてお話したいと思います。


その前に、ONYXISメンバーの多くが経験しており、鳥取大学がその主眼としても標榜している「留学」について、自分の考え方をお話したいと思います。


というのも、恐らく私が考える留学は、他の人とは少し異なる部分があるように思うからです。


そもそも「留学」って何なんでしょうか。「異国や離れた土地へ行きある程度長く留まり勉強すること」なのは間違いありません。


イメージとしては、海外での生活大変そう!、とか、外国人の友達できそう!、とか、二ヶ国語話せるようになる!、とか様々あるでしょう。


ですが、私にとって、「留学」とは別段特別なものではありません。自分がここ廈門大学に来た理由、それは「華僑」について学びたかった、


その上で世界上で一番適した場所である、と判断したからです。


よく、留学はとりあえず行ってみることが大切、行けば何か変わるかもしれないとよく言われます。大学の説明でもそれを聞かなかったことはありません。


もちろん、それも十分な理由たり得るでしょう。異質な環境に身を置くことで普段とは異なる自分と向き合わざるをえなくなる、それは変化の


大きな要素だと思います。留学に行くことで自分が本当にやりたいことが見つかるかもしれません。


しかし、私にとって、それは不十分な理由でした。いつぞやの時分にオニブロに書いたり、口頭で話したかもしれませんが、私には場所に対する


「ルーツ」というものをほとんど感じません。もちろん、生まれたときから生活の拠点であった関西、大学がある鳥取、実家のソウル、どこも好きです。


ですが、郷愁、という理由で懐かしむ、帰りたくなることは全くありません。


恐らく大抵の学生が留学に行く際一番気にすることは、故郷から離れる、馴染みある場所を離れるということではないでしょうか。


留学先でのホームシックという話もよく耳にします。それはそれぞれに「場所観」があって、そこを離れているからでしょう。


ここまでの話で判ることは、多くの場合、留学はそれ自体が対象として話されることが多いということです。


ではここではっきり言います、自分にとって「留学」とは後から付いてきたものでした。まず自分のやりたいこと、学びたいことがある。


そしてそれを実行するため、廈門大学で行くことが一番良い手段だったということです。そして廈門大学はたまたま中国にあった、


つまり「留学」をするということに繋がりました。これが自分の「留学」に対する考え方です。


ここで言いたいことは、留学に対する様々な観点の話ではありません。自分はあくまで確固たる意志を持ってここ廈門にいるということです。


学べれば勝ち、学べなければ負け、単純なところにいます。決して修行僧ではありませんが、そんな感じです笑



[華僑のふるさと廈門]

前節を長々と書いてしまいましたが、本題はここからです笑 長かったら無視して頂いても大丈夫ですよ(え


ずっと、廈門大学は自分にとって最良の場所と言ってきましたが、それは私が「華僑」について学びたいと思っているからです。


では、華僑と廈門が一体どのように繋がるというのでしょうか。


歴史的に見ていくと、18世紀中国で人口爆発が起きました。17世紀末に約1億5千万人いた人口が18世紀末には3億を越えたと言われており、


その大小があるにせよ、一地域でこれほどの人口増加は中々ありません。理由は様々ですが、一つには新大陸の食物ジャガイモなどの到来による


食糧増産に加え、清王朝の統治による社会の安定が主に挙げられます。


しかし、これに伴って人々が住む土地が増えるわけではありません。人々、特に環境の険しい地域に住む華人は新たな土地を求められることになりました。


そこで、そもそも南シナ海方面における華人側の二大港であった福建の廈門から華人が中国大陸を離れていくのです。


彼らは政治的権力に頼らない自前の地縁・血縁ネットワークを駆使して、台湾や東南アジア各地で独自の華人社会を築き上げていきました。


それが現在では世界各地に4千万人以上点在するまでに拡がったのです。日本でも横浜華僑とはよく聞きます。


さて、廈門から人々が出ていったのは、山間部が多いという生活環境の厳しさ、そして人口圧力です。しかし、廈門の華人は昔から海と共に生きてきて、


外に出ることに抵抗が少なかったこともあります。ウチがだめならよそに行く。このような精神が現在の華僑の活力にも根付いているような気がします。


ここから判るように、廈門は華僑にとっての原点、ふるさとなのです。故に、大学にも華僑研究所が設けられていたり、華僑博物館が大学付近にあったり


今なおその存在を感じずにはいられません。そして、廈門の環境、雰囲気を五感すべてで感じられる、、、これが私にとっての究極の環境だと思います。


そして、卒論のテーマでも私は華僑を取り上げようと思っています。華僑の勉強そのものにおいても、史料集めにおいても、廈門大学は適しているのです。




今回は長いうえにつまらない感じになってしまいましたね、、、まぁ本格的に華僑の勉強をするのは来学期からです。今学期は華僑史のクラスが


無かったので、、、それでも現在受けている明朝、清朝の歴史の授業、中国における海関(港における関税)の歴史の授業は華僑のバックグランドである


中国そのものへの深い理解をする上で欠かすことはできません。中国語の学習も継続しつつ、ペースを守ってやっていきます。


次回は個人的に観察している中国人の特徴について、「家」という概念を用いて説明しようかなと思います。これが判れば中国人の言動の一根拠が


判るのではないかなと思います。


そういえばONYXISのグループラインに新しいメンバーが入っているのをみました。早く会ってみたいです! 会った時にこんなもんかと幻滅されないよう


精進したいと思います泣 それでは再见!

あなたの清きいいね!をお願いします!