こんにちは、たいきです。
前回の活動で、グローバル人材って結局何なの?ということで議論しまた。
ONYXISもなんとなく模擬国連やってなんとなく世界規模で物事を感じ取ろうみたいなところがあったが、
実際にその内実(国や大学の目指すところ)のグルーバル人材や
社会の帰ることの出来ないことのように錯覚してしまうグローバル化については
対峙することを避けてきたのかなと思う。
で、実際どんな議論をしたのかというと
グローバル人材はどんな人材かということ。
個人的にはグローバル化やグローバル人材育成ということが何を意味していて
何を目的とされていて、そうすることでどういうことが起きるのか
といったところをもっと議論できたらよかったなと思った。
グローバル人材と聞いてイメージしたのが
世界で活躍できる、リーダーシップがある、人類のために貢献できる、多国籍企業で働いていそう、文化・価値観を大切にするなどなど
言ってしまえばお題目のようなイメージを皆が持ってた。
で、次にグローバル人材に必要な資質や能力について(ココがちょっと重要)の時には
相手のことをしっかり考えられる、コミュニケーション能力、寛容さ、語学力、自分の世界(視野)を広げる勇気
といった、これまたお題目のような解答。
しかし、グローバル人材に必要な資質って特に世界に出るとか関係ないよね。ということ。
ただ単に目の前にいる人、他人、相手、リアルに感じられる対人関係、会ったことはないけれど知っている人たち
そのどの人に対しても持っていなければならないことではないだろか。
だから結局グローバル人材とは中身がスカスカの鎧なのかもしれない。
また、話が出たのは
ではなぜグローバル人材が求められているのか。ここはあまり掘り下げれなかったのだが、
人類のために貢献しないといけないから、日本の世界的なプレゼンスのため、経済のため、とか
でも、結局のところなぜ国や大学がそれをもとめるのかというと、経済メインの物の考え方。ということだ。
結局、学生を含め若者、僕達の後輩たちは結局のところ人”材”としてしか見られていないのだろう。
そんなクローバル人材に果たして意味があるのだろうか。
べつに、世界規模で物事を考えることに反対しているわけでなくむしろ肯定している。
グローバルな視点はとても重要で、そこからグローカルな考え方も当然出てくるだろう。
実際に自分の生きている世界はどこだ?何だ?それはどんなものだ?
それを問われた時に、いったい自分は何と答えるだろうか。
地球か、日本か、鳥取か、
満足しているか、不安か、誰かに与えられたものか、自分で作っていけるのか、
自分で物事を考えて考えぬく、自分自身について考えなおして捉え直す。反省して作りなおす。
僕達が自分たちの世界をより良く、自分たちの手で作りつかみとる。その意思に可能性があるのではないだろうか。
結局その意思がなければどこに行っても、何をしても同じなのではないだろうか。
いろいろ自分の状況への正当化もあるかもしれないが許して欲しい。
さいごに、
ONYXISとしては、これからも模擬国連は続けるし、世界的な事象にアクセスしていきたいと思っている。
そのとき、その事象は何を意味しているのか、それにアクセスする自分はどのような社会関係のなかで意味を持っているのだろうか
それを問い続けなければならないのだろうと思う。
コメントをお書きください
Ryu (火曜日, 04 11月 2014 09:44)
久しぶりにゴールのない議論をしたね.ゴールがないからこそ考えあぐねること,話し合うことが大事だと思う.
是非またみんなで話し合いたい!
インちゃん (火曜日, 04 11月 2014 10:26)
週末に「東南アジア青年の船」という活動に参加した際に、グローバルリーダーシップを推進している内閣府の人にこの質問を聞きました。相手の答えは、グローバル人材育成の目標は国際貿易と友好関係で役に立てる人材を育成することです。一番注目しているのは自分の考えをよく伝える表現力だと言いました。「なるほどな〜」と思いまして、ここでシェアしたいです。
たいき (水曜日, 05 11月 2014 00:31)
Ryuさん
僕は自分たちで考えて自分たちの言葉で語り、自分たちで手探りで新しいものを作っていくことに価値があると思います。
この前喋った他大学の学生が「自分たちでやらないと、このままではただの葦になってしまう。」と言っていたのが印象的でした。
インちゃん
「なるほどな~」ですね。実際の役人がいうとなんかわからない力を感じますね(笑